この映画は、1966年に撮影し、翌年に仕上げたモノクロ16ミリフィルム作品です。
普通映画製作は、上映することを目的にスタッフ編成とスケジュール、予算を組んで製作されます。私たちの映画「イザイホウ」は、そんな普通の作品ではありませんでした。
1965年、初めて沖縄へきた私は、沖縄島の東に神の島といわれる小島があることを聞き、フラッと渡ったのでした。久高島は私に並々ならぬ印象を与えました。その清冽な風景、そこで人間生活の原型のような暮しをするやさしく気品に満ちた島人 − ここでは、年間30にも及ぶ祭を通して島の暮しが営まれています。そして私は翌年に12年に一回の祭、島の女が神になる、久高島最大の神事イザイホウが行われることを聞いたのです。東京に帰って仲間に話すと、撮りたい、撮れないか、ぜひ撮ろうとたちまち決まってしまいました。
当時私たちは、みんな映画、テレビ、CFなどの仕事をしていました。翌年、仕事の整理をし、私たちはなけなしの金をかき集めて撮影に取り組むことになったのです。
いってみれば、ゲリラ的製作でした。
そんなわけで、私たちの撮影行には、通奏低音のようにビンボーがつきまとうことになります。しかし、必ずしもビンボーがマイナス要因ばかりではなかったことを、話が進むにつれて皆様にはわかっていただけると思います。 |
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