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1945年、沖縄は史上最大の悲劇に遭遇した。沖縄戦である。わずか三ヶ月の間に二十万を越す人々(内、半数が県民)の命が奪われた。懐かしい街や村、美しい野や山は見るも無残な焦土と化した。
 あの時から66年、今は見事に復興した。しかし、永い歳月は戦争の記憶を人々の心から次第に消し去ろうとしている。
 2011年6月23日、那覇市大典寺で恒例の積徳高等女学校同窓会戦没者慰霊祭が行われた。終了後、会長新垣道子が挨拶した。同窓会の慰霊祭は今回で終りとしたい。一同老いて一番若い人が83才となる現実は如何ともし難い。全員寂として声もない。積徳高女は戦後廃校となったため、若い後継の同窓生がいないのである。戦争体験者は年ごとに姿を消している。今なんらかの形で記憶にとどめなければ貴重な戦争体験が歴史の闇に埋もれてしまうにちがいない。かつてふじ看護学徒隊25名が配属された山部隊第2野戦病院は豊見城城址にあり、ここが彼女たちの青春をかけた戦場であった。
 隣接した火番原に海軍の司令部壕が構築されていた。船を失った海兵は、軍命令により、ここで最後まで戦況報告電報を打ち続けるのである。野戦病院壕には、中部戦線から大勢の傷病兵が送りこまれ、凄絶な治療看護活動が続いた。戦況が悪化した二ヵ月後、南部の糸洲壕へ後退する。そして一月の後、解散命令が下り、まだ戦の続く壕外へと出されるのである。
 この作品は、16才の少女たちが生と死のはざまに生きた三ヶ月余の彼女たちの記憶の記録である。少女たち一人一人を通して、生きるとはどんなことか、死ぬとはどんなことかを考えたいと思う。その時、戦争がどんなに非情なものかが浮彫りになるであろう。
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